知的障がい者のヒーローを作る、ブランド「MUKU」を生んだ双子が紡ぐ物語 – https://www.70seeds.jp/



ステキな双子の男性たちに出会った。松田文登(兄:写真右)さんと、松田崇弥さん(弟:写真左)だ。まなざしが優しく、仲が良い。彼らは、知的障がい者が描くアート作品をプロダクトに落とし込み、社会に提案するブランド「MUKU」を展開している。

プロジェクトの第1弾として、2016年8月に発表したのはネクタイ。クラウドファンディングサイト「CAMPFIRE」で支援を募り、惜しくも達成しなかったが、そのコンセプトが注目されて大きな反響を呼んだ。“自閉症と生きるラッパー”GOMESSさんによるプロモーション動画は、YouTubeで4万9000回(2017年10月現在)以上再生されている。

そんなMUKUが、新たな取り組みを始めた。同じくCAMPFIREを通して、新しいプロダクト「洋傘」「ブックカバー」を発表したのだ。2人を突き動かす原動力は一体何なのだろうか? 新しいプロダクトの詳細や目指す未来なども含めて、話を聞いた。

「本物志向のプロダクトにしたい」

―2人とも東京で活動しているのですか?

文登さん:いえ、私は故郷の岩手県にいて、建設関連企業で営業として働いています。弟は東京の広告代理店で働いているので、お互い本業をやりながらMUKUの活動をしていますね。立ち上げて約2年が過ぎて、メンバーは私たちの他にインターンが1人だけ。知り合いをはじめ、多くの方々に協力してもらいながら進めてきました。

―立ち上げたきっかけについて教えてください。

崇弥さん:大学では芸術系を専攻していて、卒業制作の中で「常識展」というのに取り組んだのが始まりでした。「世の中の常識は本当なのか」みたいな。世の中でかわいそうと言われる人に焦点を当てて、実際は違うのではというメッセージを伝えていました。

その時に兄の翔太(※2人は、長男の翔太さんを含めた3人兄弟)が自閉症なこともあり、知的障がいのことも取り上げたいと考えていたら、押し入れにある翔太の自由帳を見つけたんですね。翔太の絵って昔は下手だと思っていたのですが、健常者がしない数字の羅列があったりして、面白い発信の仕方だなと。その光景が印象に残っていたのですが、そのときは何か始めることはなく就職しました。

―何が転機となったのでしょうか。

崇弥さん:社会人2年目のときに、知的障がい者のアート作品を取り扱う「るんびにい美術館」(岩手県花巻市)に母が連れて行ってくれました。そこで衝撃を受けたんですよ。

るんびにい美術館

普通の作家さんだったら、この画材を使ったら○円で売れるとか、今のトレンドに合わせて作ろうとか、金銭的な想定をしますよね。でも「るんびにい美術館」には金銭的なものを全く感じず、とにかく“描きたいから描く”アートがあった気がして。このアートを活用したビジネスに挑戦したいと思って、兄に相談したのが始まりですね。

―相談された文登さんは、どう思いましたか?

文登さん:翔太が「就労継続支援B型事業所」で働いていて、貧困に直面してしまう状況を見ていました。なので昔から、弟と“どうしたら知的障がい者の新しい収益構造を生み出せるか”を話していました。それが実現できるのであれば、ぜひと。

―意気投合したわけですね。

崇弥さん:知的障がいの方のアート作品をプロダクトに落とし込むって、今考えると世の中にあふれていると思うんですよ。でも当時は、何も考えずに「これは他にないモデルで、絶対に面白い作品ができる」と確信してしまって(笑)。

文登さん:そういう取り組みがあること自体は、2人とも知っていたよね。でも言葉は悪いけどプロダクト自体がカッコ悪くて、そもそも誰が買うのかなと。岩手にいたのもあって、復興支援のような形になっている気がしました。だからMUKUは、日本の伝統的な職人さんに関わってもらうことで、本物志向にするという思いがありました。

―福祉的な位置付けにはしたくないと。

崇弥さん:兄に言ったのは、どれだけ高くてもいいから、最高に良いものを作ろうということでした。だから百貨店で取り扱うような値段になったとしても、本物と組みたいなと。ネクタイのプロジェクトでは、創業明治38年の老舗ネクタイブランド「銀座田屋」に提携していただき、繊細さや丁寧さを実現することができました。

MUKUの第1弾プロジェクトでは、ネクタイを発表。文登さんが山形県米沢市にある銀座田屋の工場にアポなしで直撃し、企画書を提出して話が進んだそう。一般の高級ネクタイは1寸(約3.03cm)あたり約200本の糸を打ち込むことが可能だが、銀座田屋では糸に改良を加え、その密度が500~600本なので緻密さに特徴があるという。

―提携するネクタイブランドは、どのように見つけたのですか。

文登さん:素人の集まりだったので、服飾関係の友達の紹介や、メーカーを調べて電話していましたね。「プリントなら製造できる」と言ってくれるメーカーさんもいましたが、MUKUのアートを表現できる素材は“シルク”しかないと思っていました。アーティストの作品はブツブツしていたり、突起があったりと躍動感に溢れているからです。

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」とコラボ

―洋傘とブックカバーを発表しました。新しいプロダクトはどう決めるのですか?

崇弥さん:今回は、宮沢賢治とコラボしたいということを最初に決めていたんですよ。宮沢賢治は「るんびにい美術館」がある花巻市に住んでいたし、おじさんが「宮沢賢治記念館」(岩手県花巻市)の副館長をしているのもあって、親和性が高いなと。コラボする時に、兄が宮沢賢治の子孫である宮沢和樹さんに許可を取りに行ったんですよ。

文登さん:いやあ、思い出すなあ。

―何があったんですか!

文登さん:宮沢賢治のことをしっかりと理解していなかった私が悪いのですが、宮沢和樹さんにお叱りいただきまして。最初の30分「宮沢賢治の何が分かるんだ!」と詰められました……。死後50年以上たち著作権が消滅していて、色んな人が“宮沢賢治”を自由に使用していることに危機感を感じてらっしゃって、特に「広告代理店は誇張する人もいるから」と。弟が広告代理店に勤めているなんて、とても言えませんでしたね(笑)。

―その場はどのように落ち着いたのですか……?

文登さん:2時間くらいお茶しながら話をして、最終的には「応援しているから頑張って」と言っていただきました。というのもNHKや岩手日報で取り上げられたときに見ていただいたようで、MUKUを評価してもらっていたことが大きかったと思います。

―宮沢賢治と新しいプロダクトには、どのような関係があるのでしょうか。

崇弥さん:宮沢和樹さんから聞いたのですが、雨ニモマケズは宮沢賢治が作品として書いたものではなく、その時の心情や考えを書き溜めたものらしいです。それを聞いたとき、僭越ながら「るんびにい美術館」のアーティストたちと一緒だと感じたんですよね。アーティストたちは彼らの視点で見て、聞いて、感じて、心の中に描いた世界をそのまま表現しているからです。そこには「社会に評価されたい」という私利私欲はなく、描きたいから描くという単純な動機だけが存在しています。

なので今回のプロダクトでは、岩手県出身の歌手である高岩遼さんを中心に、雨ニモマケズを朗読してもらったスペシャルムービーを公開しています。

 

小宮商店とコラボして製作した洋傘

―プロダクト自体の特徴はどこになりますか?

文登さん:創業87年の傘メーカーである「小宮商店」が、製作に協力してくれました。機械化が進んだ時代において、傘もラインに乗せれば自動で作られると思われがちですが、いまだに傘はほとんどの工程で「人の手」を必要としています。最終的には、作る人の経験と知見が出来栄えを左右するため、非常に奥深い製品です。

崇弥さん:小宮商店は、日本でわずかとなった国産の傘を作り続けているメーカーです。本物志向を大事にする思いを変えたくなくて、ダメ元で声をかけた1社目でした。ですが、初回から社長が話を聞いてくださり、これまでの実績もあったことから、とんとん拍子に話が進みましたね。11月中旬には、オンラインストアから購入できる予定です。

知的障がいのある“ヒーロー”を生み出す

―最初のプロダクト発表から1年以上過ぎました。何か反響はありましたか?

文登さん:NHKの番組に8分ほど弟が出たのですが、番組を見た男性からメールが届いたんですよ。今奥さんのお腹に障がいのある子どもがいて、生むかどうか迷っていたと。障がいのある子どもを産むことはかわいそうと思っていたけれど、番組を見て「こんなに幸せなことなんだ」と気付き、生むことを決めたという内容でした。その男性の気持ちは、MUKUに取り組んできて一番嬉しかったですね。

崇弥さん:翔太が自閉症なこともあり、母親が積極的に知的障がい者の方が集まるコミュニティーに連れていってくれました。だから昔から、多様性を肌で感じていたタイプだったと思うんです。その経験をしたから、色んな特性があることをバカにする人間にはならなかった。翔太がいたからこそ、私たちの人格は形作られたと思っていて。翔太のおかげで多くの大切なものを知れたことを、メールの返信で伝えたのを覚えています。

―MUKUには、2人の優しさのようなものが詰まっている気がします。

崇弥さん:そういえば、取材に2人で出るのは初めてですよ。

文登さん:メディア対応は、ほとんど弟に任せているんですよ。岩手日報に取り上げてもらったとき、会社の人から「お前の弟すげえな」と言われて。いや、私も頑張っているんですけどみたいな……(笑)。だから今回は、岩手から取材のために東京に来ました!

崇弥さん:お前ばっかりズルいと、前から取材にすごく出たがっていたもんね(笑)。

MUKUのネクタイを身に付けた崇弥さん(左)と文登さん(右)

―お互いの存在って、どう捉えていますか?

文登さん:大学に入るまでは、弟と18年間ずっと一緒だったんですよ。高校でクラスが違っても、僕の友人と弟の友人は仲が自然と良くなるみたいな。互いの大学の友人と、卒業旅行にも行くくらい。遊ぶときに別々ということはなかったんじゃない?

崇弥さん:なかったね。別々なのは、彼女くらい(笑)。ほとんどの友人は一緒に遊んでいたよね。何だか「兄が仲良くなった友達」と聞くと、自分とも感性が合うんだろうなと勝手に思うんですよ。だから、2倍友達ができているような感覚があります。

―まさに一心同体ですね。

崇弥さん:気兼ねなく本音を言い合える一番仲の良い友達であり、兄弟でありみたいな。私がFacebookでクサイ文章を投稿しても、すぐに「キモイ」とか言ってくるし(笑)。

文登さん:広告代理店感を出しすぎ、みたいなときがあって(笑)。

崇弥さん:どれだけ仲の良い友達でも、そこまで言わないですよね(笑)。でも双子だと本心でぶつかり合うことができるので、MUKUを進める上でも良かったなと。

―ありがとうございます。最後にMUKUの今後について教えてください。

文登さん:私たちが目指しているのは、知的障がいのある“ヒーロー”を生み出すこと。なぜアートなのか、それは目で見て率直に「良い」とか「カッコいい」が分かるからです。私が「障がい者かわいそう」「差別は良くない」と言ったところで、何かが変わるわけではありません。でもアートがあることで、発信自体をアートがしてくれます。

崇弥さん:MUKUのプロダクト名には、全てアーティストの名前が入っています。まだ数は多くないけれど、アーティストに対してファンがついて、お金が生まれたらなと。

今アートだけで食べていける障がい者の方は、ほとんどいません。だから、長期的には“知的障がいを持ったAKB48”みたいなのを作れたらと。AKB48は各メンバーで事務所が違うけれども、その傘の中に入ることによって、ブランドを持ち、ファンが増えていく状態を作り出しましたよね。色んな福祉施設を事務所と捉えて、そこから生まれたアーティストが、MUKUを通じて展覧会や企業とのタイアップ企画を生むといった、お金が循環する仕組みを作りたいと思っています。

―最終的なゴールみたいなことは考えていますか?

文登さん:将来的には、障がい者が店頭で販売していたり、カフェの店員をしていたりすることが当たり前の空間を作りたいです。健常者と障がい者の方々が、一緒に交われる空間が当たり前になるというか。私の親戚も、翔太が自分の子どもに近寄ることを危険と判断したことがあるんです。「知らないから怖い」だけなんですよね。知らないということを、MUKUを通して変えていけたらと思っています。


【編集後記】

とにかく仲が良い、文登さんと崇弥さん。取材はいつも緊張するけれど、2人の優しさに私も救われた気がする。今後も個人的に応援したいと思えるほど、ステキな出会いだった。MUKUが挑戦するクラウドファンディングは現在、達成率が約94%(10月18日現在)。達成まで、あと少しだ。



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